「万愚節」は季語になっているようなので、歳時記などを引けば用例がみつかるだろうが、一体どんな句が、と思ってしまう。『日本国語大辞典』には、中村草田男の
銅像の片手の巻物万愚節というのが載っているがどういう意味だろう。昭和三十一年の『母郷行』という句集に入っているらしいのだが。
そういえば福井市ではつい最近まで、小学校の入学式が4/1に行われていたらしい。どこでも4/7ごろが入学式なのだろうと思っていたのだが、そうでもなかったわけだ。多分この、片手に巻物を持った銅像は学校にあるのではないか。違うかな。
書を読むに、声をあげて読むがよきや、黙して読むがよろしきやと問ふ人あり。これは各々得失ありて一方に定めてはいひ難しとあったからだ。黙読が音読と張合っているではないか。
声を発して誦するを読書と云。声を発せずして読むを看書と云。少しの違はあれども。すべてこれを読書と云。ともあった。
漢文を黙読するのであれば、日本文を黙読することもあったのではないかと思えるのですが、江戸時代以前のそういうことを示す例はありますでしょうか。
また、日下部重太郎氏は大変面白い本をいくつか出しています。JIS漢字の選定の際にも参考にされたと聞きました。ただ伝記的な事が全く解りません。ご存じの方はお教え願えれば幸いです。《『国語学大辞典』の『現代国語思潮』の項に1876-1938と。『国語と国文学』にある。》
【万愚節・補】
「節とはおおげさ」と書いたが、「万聖節」というのに対応しているのだそうだから、おおげさでよいようだ。
私が「つぶやき」に接したのは、オールナイトニッポンの第二部、すなわち深夜三時以降の部においてである。第一部では比較的元気にあかるく喋るパーソナリティーが多かったように思うのだが、第二部に出てくるような、フォークソンググループの一人であるような男性は、「つぶやく」というかボソボソと消え入りそうな声で語るのであった。歌声はちゃんと出ているのだが、話し声はボソボソモソモソなのである。これを聞くと本当に眠くなるので、「歌うヘッドライト」に替えたものだった。そういえばラジオ局が一つしかない地方では、「オールナイトニッポン第一部→歌うヘッドライト(或は走れ歌謡曲)」という中継の仕方も多かったはずだ。ともかくダイヤルを替えるだけで、深夜から早朝に替わった気がした。KBCラジオを聞き続けた場合には「おはよう浪曲」にならぬと朝は来なかったのだ。
しかし、その後このボソボソモソモソは影をひそめてしまったのではなかろうか。ネクラという言葉が流行り、明るいのがよしとされた。暗い歌を歌う中島みゆきやさだまさし、更には松山千春などが馬鹿に明るい口調で喋り、大笑いをする。しかも、聴取者に語りかけるというよりも、スタジオ内での会話(パーソナリティーが一人である場合にも、「スタッフ」なる人への語りかけ)がなされ、それをラジオの前で傍聴する、という感じに変化した。
暗い人達はどうしてるのかな。NHKの「ラジオ深夜便」でも聞いているのだろうか。
現在のラジオが個人のものである、というのはまさにそうで、私も結婚してからラジオを聞く機会が減った。しかし、車に乗るようになると又聞くようになった。でも朝夕の番組だけである。だから「ラジオ深夜便」は殆ど聞いた事がないのだ。
【最古級・補】
NHKニュース7でも「最古級」と言っていた。考古学の世界では普通に言うのだろうか。日本語史の方でも使ってみるか。「これは最古級の用例です」と。
鐵子夫人はもの静かに語る。七十一歳とは思えぬほど若く、顔肌の美しい婦人である。この本のp217、「根野菜」も、おや、と思うことばだ。「根菜」なら知っているのだが、これはなんだろう。「ねやさい」それとも「こんやさい」?
福岡出身の私にとって、ライオンズはやはり特別な球団である。しかし西鉄ライオンズの最後の優勝の時に二歳だったわけで、小倉球場の近くに住み、応援するようになった小学五年生の時分にはもう黒い霧を経過していて、最弱球団になっていた。外国人選手はポインターとボレスを覚えている。キャッチャーは宮寺、ファーストが高木喬、セカンドはもう基ではなかったか、サードに竹之内がはいっていたか、ショートは菊川か梅田、外野には東田がいた。《小倉球場での開幕試合を見に行った。》
太平洋クラブの初年が私の中学一年にあたる。この頃からラジオのナイター中継をよく聞いたものだ。太平洋クラブからクラウンライターの頃の選手はよく覚えている。高校三年の時の身売りで福岡を去り、埼玉へ行ってしまうと知ったときは物凄いショックであった。受験するのを関東の大学に変えようかと、半分真面目に考えたものであった。しかし、福岡の応援団が西武球団に福岡平和台球場での惜別試合を開いてくれと頼んだのに対して、拒絶した上でもう応援しなくて良いと言った、という話を聞き、私はアンチ西武になったのでありました。真弓・若菜・竹之内・基といった人々がライオンズから去ったのも好都合でした。
で、私はホークスが福岡にくるのと入れ替わりに関西へ移ったのです。……ということはホークスが福岡に行ってもう8年も経つのね。全然強くならない。
原則として小がきにする。それで、入門にはそう教えておいて、次第に同じ大きさの字で書いてあっても正しくよみ得るように導いてゆくべきである。とある。この考え方で行くと、右上四分の一に書くやり方も、「入門にはそう教えておいて」ということなのかもしれない。尚要調査。 《その後》
朝日小学校校歌 岡井慎吾作歌(吉田恒三作曲)「おふす」は「おほす」とあるのが普通だろうと思う。《でも「あめつち」には合う。》
一 昇る朝日と名におへる
学の庭にうち集ひ
つむやかたみに教へ草
のぼる朝日のたゆみなく。二 のぼる朝日と名におへる
学の庭をふみならし
おふす心の杉はしも
のぼる朝日のいや高く。
(『朝日村誌』大正9.10.15)p17
「作詩」ではなく、勿論「作詞」でもなく、「作歌」であるのも面白かった。
援助交際は売春です。というのがあった。非常に直截的な言い方でどっきりさせるものだが、ふと、
政治献金は賄賂です。という言葉が思い浮かび、ついで、店などに貼ってある、
万引は立派な犯罪です。というのを思い出した。
立派な行為です。というような、〈賞賛に値する〉とは違って、〈十分にそうだと言える〉といった意味なわけだが、やや誤解を招く、というか、屁理窟を受け付ける言い方だ。かといって適当な言い方は難しい。「ちゃんとした犯罪です」でも駄目だし、「堂々たる犯罪です」というのも変だ。「十分に犯罪です」はまあよさそうだが、「十分な犯罪です」ではおかしい。「れっきとした」ぐらいかな。
そうそう、「嘘つきは泥棒の始まり」ってのも、「嘘をついていたらそこから始まっていつか泥棒になってしまうんだよ」という意味だと思っていたのだが、「兄弟は他人の始まり」という言い方もあるように、〈嘘つきは、もう泥棒の仲間に入ってしまっているのだよ〉という意味だ、という解釈がある。
それからもう一つ思い出すのは、
無益な戦争はやめましょうというのに対して、「じゃ、有益な戦争ならいいのか」というような理窟をいう人がいることだ。こういう屁理窟を封じるような表現は可能であろうか。
戦争てえものは、この、無益なものなんですな。そうした、この戦争てえものは、ひとつやめようじゃございませんか。と長くなってしまうわけだが、こういう修飾の仕方といいますか、説明するような修飾の仕方と、よくあるような限定する修飾の仕方とを区別するような言語があるだろうか、あるとすればどういう風に言い分けているのだろうか、ということを知りたいと思ったりするわけだが、私は知らないんです、残念なことに。
さて、娘の教科書だが、「うさぎのむねかざり」の「むねかざり」という語は初めて見たが、『日本国語大辞典』には載っている。
「ちいさなたね」に(p32)、
おまちどうさまと、現代仮名遣からはずれる例があった。国語ではなく道徳だからよいのだろうか、それともこれは「遠い」という語源の意識は失われているからこれでよいと見なすのであろうか。
「ぼくのがっこうのこうしょう」の校長先生のお話で、
ほしは、ふつう 五つの とんがりが ありますが、こうしょうは それが 六つ あります。と言っているが、こういう頭の固いところを見せたらいかんなあ、校長先生よ。他のページの挿絵には星のとんがりがいろんな書かれかたをしているというのに。虹が7色だってのよりも頭が固いんじゃないのかな。「ほしじるし」とか「ほしのしるし」と言えばまあよいのだが。JISでも☆★、「五つのとんがり」って決めてるわけではないのでしょうね。しかし五つで書く習慣と言うのはどこから来ているのだろう。ヒトデを「海星」と書くのは『倭漢三才図会』に出ているが、この本で星はまん丸に描かれている。そういえば、「月日の立つのは早いもんだ」と言ったあのお星さんはどんな形だったっけな。明日見てみよう。《見付けられない。たしか挿絵入のがあったと思ったのだが》
思い出したのだが、校長先生用の講話見本集のようなものを古書店で見かける。ああいうものがあるということは、多分、推薦書模範文例集とか通知表評価文例集とか言うのもあるのではないかと思う。こちらの方が需要が多そうな気がするし……。でも古書店では見かけないような気がするが何故だろう《通知表用は新刊本の店で見た》。校長用はぱりっとした造本だから売りに出るけど、そうでないのはツブされてしまうのかな。
(道徳の教科書の文章には出典があるものもあるが省略)
一学期 聞く態度や話す態度に節度がほしいと思います。成績でも、国語の「よい聞き方」の所に×がつけてある。これが一年生の時のだが、何時のをみてもこんなことばかり書いてある。
手洗いや準備がおそいために配盆がおそくなることがあります。
二学期
学習時間にもっと元気がほしいと思います。特に体育は力一杯してもらいたいと思います。
仕事がおそいために、人の世話までできにくいようです。体が機敏に動きません。
のろいために完成しないまま終ることがあります。
三学期
学習態度がやはりだらしないようです。度々注意しますが、なかなかなおりません。そのため聞き落しがあり、失敗も何度かありました。
掃除中にぼんやりしていることがあります。
自分の机の中の整頓は余りできません。
五年生の時の担任からはヌルと言われた。動作が緩慢であるからだ。ノロい、というよりもヌルいというのだ。私にとっての最暗黒時代であるこの五年生の時の通信簿は残っていないが、転校する私に対してクラスの人々が書き殴ったノートが残されている。私はこの時の転校はものすごく嬉しかった。終業式の日に転校する人々が教室の前に立っているのをとても羨ましい思いで見ていたのだが、「家から連絡があってお父さんが転勤だ」と言われた。ノートはそんな状況で書かれたものだ。それには、
むこうのがっこうにいってヌルがなおるといいね。とか、
ヌルの競争相手がいなくなってざんねんですとか、
のろま中ののろまなので注意するべしとか、
きびんに動いて先生にすかれてねとか書いてある。全く好きなことを書くものだ。
肝臓は体内での各種代謝の中心的役割を行う重要な臓器のため、……能力が強いため……症状があらわれません。これを読んでますます頭が痛くなった。日新製薬、しっかりしろ。こうした薬を監督する厚生省にも責任の一端はあるであろう、ってことはないか。でも売薬の説明書はきちんとしてほしいものだ。しかし頭痛薬は殆ど効力を発揮しない私の体だが、この薬にはえらく反応してしまったようだ。
したがって常に肝機能検査が必要と考えられるわけでサピン錠は下記効能にすぐれた効果をあらわします。
ミス゛キ゛ヨーサ゛とかいてある。スイギョーザを食べた積りであったのに。
前にも書いたが、西安の小吃(屋台の様なの)で食べる酸湯水餃は本当に美味しかった。ガイドブックなどにも載っている解放路餃子館などで食べるのよりもずっと美味しいのだ。帰国後、日本の餃子の不味さには閉口したものだ。餃子の中身に余計な味を付けすぎなのだ。