山田俊雄『ことばの履歴』(岩波新書1991.9.20)によると、「電…」は敬語であり、明治には「電覧」を「テンシノゴラン」と説明したものもあったようである。
これを読んで私は身が縮む思いがした。ワープロで打った手紙に「電筆乱文失礼します」などと書いて出したことが有ったからである。
冷汗三斗、いいえ、いま思い出してもきりきり舞いをしたくなります。がある。これは恥かしさの形容の様である。
とれとれ〔取れ取れ〕(名)取り立て。今取ったばかりのもの(魚など)。タベタベ・オキオキなどと同じ例である。とあった。関西弁なのだった。これも中央進出した(というと関西の人にわるいから「東下りの上、全国に広がった」と言い直そう)言葉なのだろう。
そういえば、「いけいけギャル」という言い方があったが、あの言葉の意味が私には分らない。そもそも「いけ」は、「行ける」の連用形なのか、それとも「行く」の命令形なのか。《後日。「明け明け」》
今回は、言葉的にはいま一つであった。新潟日報で、中頚城郡の「頚・頸」の字が「輕」でなく「軽」と同じ旁になっているのは予想通りであったが、町名を書く場合に、必ず上に郡名の略称を付けているのは面白かった。東西南北中の蒲原郡には、「東蒲……町」「西蒲……町」という感じ、東西中の頚城郡には「東頚……町」という感じである。どう言うふうに音声化するのだろうか。トウホ・トウケイかな。ひょっとしてトウカンとか読んでいたら面白いのだが。
南北の魚沼郡は見当らなかったが、ナンギョかな。
長野では、南北中東、の四地区にわけ、「南信」「北信」などと呼ぶようだ。纏めて「東北信」「中南信」とすることもあるようだ。「上信」というのは、信濃の上部ではなく、上野コウヅケと信濃なわけだ。
「ばり」というのが、小便を表わすことがある。
蚤虱馬が尿する枕元という『おくのほそ道』に出てくる句の「尿」に「シト」でなく「バリ」の読み仮名を付してあるものを目にしたことのある人も居るのではなかろうか。《「ゆばり」だということを書き忘れていた。》
きたねーな、御前の顔は、え? カオじゃなくて、ガオだな、こりゃという、濁った音、汚い音、という感覚である。それによってもとの清音を濁音に替えることによってよくない意味の言葉にすることがある。サマに対するザマ、フレル:ブレル、タマとダマ、などなど。これを論文にしたのは、最近岩波新書『教養の言語学』を出した鈴木孝夫氏。『日本の言語学』という基本論文集で読める。マ行とバ行でいえば、アカメがアカベー《メカコがベカコ》になるのには、やはり濁音化によるわるい意味の付加があるであろう。〈マ行の濁音はバ行〉というのはこういう意味においてである。「まる」が「ばる」になるのも同じような現象と思える。
ちょっとながくなりました。
私たちは「ゴヨウダツ」と読んでいました。(中略)なんだか、エライ先生が「ゴヨウタシ」と言うほうがいいとおっしゃったとのことですが、私たちが「ゴヨウタシ」と言うときは、お手洗い(トイレ)に行くことを意味していました。とあります。面白いですね。
武市さん、同じ文字をずっと見ていると、変に見えてくる、というのは夏目漱石『門』冒頭に出てきます。《最初、武市さんのお名前を「武智」と打ってしまい、武市さんにご不快を与えてしまい申し訳ありませんでした。武市さんにご指摘して頂く前に気付いて、十日づけで謝っております。》
涙がちょちょぎれた。とある。
涙がチョチョ切れるとあるのは結構古い用例ではないかと思い、これも関西系の言葉か、と『大阪ことば事典』を引いてみると、
チョチョギル(動)ちょん切る。というのが載っていた。その可能動詞で、自発の意味を持つと言うわけだ。他にこういった言葉を載せている辞典は無いようなので、やはり関西系の言葉である可能性が強いように思う。
綱引きと言えば、以前どこかで読んだのだが、やり方に地域差があって、普通はともかくエイヤエイヤと引張り合う。これが多分公式ルール(元オリンピック競技だ)なのだろう。北陸地方は綱引きが盛んでテレビでも綱引き大会を中継しているのをみたことがあるのだが、ともかく引張り合っていた。
ところが、私の小学生時代には、妙なやり方で行われていた。交互に引張り合うのである。赤引け、白は我慢。今度は白引け、赤我慢。という具合なのである。私の行った学校がたまたま変だったのか、と思っていたのだが、確か何かで読んだのだ。
「立て」「座れ」という号令をかけられて、いちいち「ヤー」と掛け声を挙げながら動作を起こすというのもあったが、これも声を出さない地域から見たら奇異な習慣だろう。
言葉の話題から逸れてしまったけど、方言に関心があると、どうしてもいろいろな地域差に関心が向いてしまうのだ。『日本民俗地図』なんてのがあって、いっぺんゆっくり眺めなくてはと思っているのだが、まだ果していない。なんだかあの地図、『日本言語地図』と比べて、敷居が高いというか、広く片付いた机がないと見られない感じがする。
餅の形で、東の角餅・西の丸餅なんてのは有名だが、餅の食い方にもいろいろありそう。油で揚げて砂糖醤油で食べる、ってのは珍しい?
東日本のジャについて、横浜などのジャンをいう人もあるが、これは「では」から来たものであって別物である。「コトタマ往来」689(吉町義雄)に、
「有るでは無いか」と云ふ場合,後半を省略して「アルヂャ」とする慣用法が靜岡縣に行はれる。とある。まだ神奈川入りしてなかったのか。
この「うろ覚え」、最近は「うる覚え」などと書いてあることもあり、たしかfj.sci.langあたりで話題になったこともあったと思うが、これはどういう変化なのだろう。〈「ウローボエ」は訛りであり、「うる覚え」が正しい形だ〉と思い込んだ(過剰矯正)としても、なぜそう思い込んでしまうのか。fj.sci.langの過去の記事ではどう言っていたのか覚えていない。logもとっていないと思う。
それこそ「うろ覚え」だが、「うるかす」という言葉と関係付けていたようにも思う。〈ふやけさせる〉というような意味である。そこから〈ぼんやり〉というような意味だと感じる、ということであったか。「うるうる」も関係付けていたかな。
《迫野虔徳「西日本の方言」273「オロヌッカ」》
あの人はこの辺でよくみかける。前者には「ヨー」を用い、後者には「ヨート」を用いる。逆は駄目だ。前者の「ヨート」は絶対におかしいし、後者の「ヨー」もどこか座りが悪い。
金かと思ってよく見ればオモチャだった。
トの有無で意味が違うと言うことはどうだろうか。
「とくと拝見」の「とくと」は「とく」とは別の言葉で、「とっくり」と同源だろう。副詞はトが有ろうがなかろうが意味は変るまいという気もするが、「と」が付かないもの、「と」を付けねば落ちつかぬものなどあって、なにかあるかもしれぬ。引用研究のF氏(「拙者」の指導教官)などに聞いてみたい気がする。《九州方言のトの特殊性も考慮に入れた方が良いのではないか、との意見を、ある方から頂いた。共通語のノに相当する働きもするのである。「行くと」「よかと」》
「どうある?」この言い方が九州方言らしいと聞いて驚いたものだ。これを早くに指摘したのは例によって吉町義雄「コトタマ往来」588項(『音声学協会会報』39,1935.12)。九州人の感覚では病気の時に「どうしたの」と言われても、何もしてないのだから答えようがない。どうもしてないが、どうかあるのだ。
また九州の「ある」は、後に「ている」を付けることが出来る。
今、日本シリーズがあっています。これはちょっと翻訳不可能だ。「をやっています」とは違うし、「行われています」では大袈裟だ。これも伝統的には「ありよる」と言っていた所だ。
置いといているうちにがある。置いて置いて居る。そういえば「見てみる」に強い抵抗を示す人も居る。
九州の「てある」は尊敬を表わす。
達者で居てか、おふくろは。のように、「連用形+て」が尊敬を表わすと言うことは全国的にあって、直接的にいわないことが尊敬に繋がるのだろうが、後に「ある」が付くのは九州的という気がする。
「ある」なんて基本的な語でも地方差があるもんであるんである。
また稀に、この「とく」が重ねて使われることもあります。(p32)というのをみて、「おお、やはりそうか」と思ってしまったのであったが、例文を見ると、
そないなエグイこと、せんといとくなはれとあって、これでは「ておく」の重複ではなく、「ておく」+「ておくれ」(ておくんなはれ)である。「呉れ」に「お」を付けた「おくれ」である。
知らさせていた病名「させ」に傍点が打ってある。
ところが、文中には
(癌で死んだ−岡島注)馬生さんはそれ(病名−岡島注)を夫人に知らさせていた。とあり(やはり傍点)、直後には、
知らせたあとの家族の心労という部分もある。
昔、サ変動詞に使役のついた形は「せさせて」と言っていたのだが、これが何時の頃からか「させて」に変った。「せられて」も「されて」に変ったのだから、サ変の未然形が「さ」になった、と解釈できる。しかし明治38年12月2日、文部省の「文法上許容すべき事項」でも、
五、「ヽヽせさす」といふべき場合に「せ」を略する習慣あるものは之に従ふも妨なしと〈「せ」の省略〉と捉えている。そこで「知らせさせて」のようなサ変動詞でないものも、それが〈省かれる〉ような使い方をする人も出てくるのかもしれない。
例、手習さす 周旋さす 売買さす
それは私たちの友情にさえ、ひびを入らせまじき衝撃でありこれは秦氏の文章である。〈入れかねない〉というような意味で使っているのであろう。〈打消推量〉といわれる「まじ」にはそぐわない。妻によれば外国ぐらしの二人だけにちょっと変った日本語が散見するということだが、この「まじ」の場合は、外国ぐらしだけを理由にすることはできまい。
「まじ・まい」これはいろいろとヘンな言葉なのだ。古語の「まじ」が「まい」に変化したのがまずヘンだ。終止形に接続していたのが、未然形やら連用形やらにつく。東京ではおおむね、5段動詞は終止形に付くが(「行くまい」)、1段動詞は〈連用/未然形〉に付いたり終止形に付いたりする。私は東京方言の話者ではないが、「食べまい」と「食べるまい」では、前者の方が打消意志を、後者の方が打消推量を表わすことが多いように思う。
さて、もっと変な形に付くようになったのもある。「いこまい」なんてのがそうである。しかもこの「いこまい」は打消推量や打消意志ではなく、意志(勧誘)になってしまっている。打消の意味が消えてしまっているのである。
九州福岡では「いかんめー」となる。未然形に「まい」の変化した「んめー」が付いていると解釈し得るが、話者の意識としては、「行か+ん(打消)+めー(意志or推量)」である。あるいは打消の「ん」が活用した〈意志形〉が「んめー」だと言ってもよい。これも「まい」が打消の意味を失っているということが出来る。
あと、金沢の「まっし」。意志・勧誘で使われるようだが、これも恐らくは「まじ・まい」が起源であろう。今は連用形接続だが、最近まで終止形に接続していたようだ。『頑張りまっし金沢言葉』という本に書いてあったのだが、丁寧の「ます」をも終止形接続にして話す観光ガイド(年配の女性)がいるそうだが、これは「まっし」と「ます」を同源と考えたことによる〈過剰矯正〉であろう。たしかに「ます」は「まっす」であってもよい。九州などでは「行きまっしょー」などと勧誘する(この勧誘は「ー」の部分が担っているのである)。
福井・富山で用いられる「マ」。勧誘(軽い命令)の意味のようだが、これも「まじ・まい」からと見たい。福井では命令形に接続することもあるようである。
言葉の問題ではないようにも思うが、自動詞と他動詞の違いの一環と言うことで。
ダイジシンとオオジシンの場合は、NHKではオオジシンに決めていたと記憶している。証拠はないが、元NHKアナウンサー菊谷彰氏の『日本語のすすめ』(三修社 昭和59.10.1)の「まちがいやすい単語」に「大地震 ×だいじしん○おおじしん」とある。またNHKの『日本語発音アクセント辞典』(昭和41年版による)には、「オージシン」はあって「ダイジシン」は無い。『放送文化』というNHKの出している雑誌の昭和52年4月号に「〈オージシン〉か〈ダイジシン〉か」というのが載っているそうだが、未見。ただ「ダイジシン」なんて言葉はない!というのが論拠だと聞いたような気がするが、これは困った決め方である。戦国時代の吉利支丹たちの著した『日葡辞書』などにはダイジシンが載っているのだ。時代によって規範となる形は違うわけだが、その後地震があまり漢語らしくなくなってしまったのか(江戸は地震が多いから口語になった? これは冗談)、オオジシンが普通となったのであろう。その後、再びダイジシン派が増えてくると、オオジシンは規範となり、ちょっとペダンチックともいえる読み方になっている。
ところで、和語にはダイは付かぬのか。私の感覚では地名(大名古屋ビルヂング)や人名はダイが付くように思う。しかし、〈「大谷崎」はオオタニザキと読みたい、「大近松」をオオチカマツと読むように〉という文章をかつて読んだことが有り(何か文学全集の月報であった)、自分との感覚の違いに驚かされた。『大近松全集』というのがあって、わたしはダイチカマツと読んでいたからだ。
オオチカマツなどという言い方を聞くと、どうやら、ダイと読むのが一般的な読み方、オオと読むのが少し通の読み方、という意識があるようにも思う。オオブタイというのもそれではないか。ブタイは勿論漢語であるから、普通にはダイが付きそうである。ところが通人にとっては歌舞伎などの演劇の用語は口に馴染んでいなければならない、従って「舞台」というのは「漢語的表現」などではないのだ。だからオオブタイなのだ……とはちと強弁であったか。
なお、辞書類にはオオブタイが載っていてダイブタイは載っていない。ところがこれはダイブタイという言い方はないことの証拠にはならない。「オオ−」よりも「ダイ−」の方が、〈どんな漢語にでも付けられる〉という造語力の強さを持っているからである。
時代感覚の違いということで言えば、「大新聞」これを我々現代人はダイシンブンと読むであろう。ところが、明治の頃には大新聞小新聞はオオシンブン・コシンブンと読んだのである。朝日毎日は大新聞から出発したが、読売新聞は小新聞であった。
先日、キムタクの様に漢字に囚われぬ略語は新しかろうと書いたのだが、なんのなんの。その昔、シミキンという人が居ました。
なお、東京でも「濃いめ」といい、「こめ」とは言わないようであるが、これは「濃い」の場合は語幹が1拍と余りに短く不安定だからである。終止形も「こいい」となる地方もあるようである。「こゆい」という形をとる地方もある。九州はおおむねそうであると思うが、他の地方にもありそうである。
「遠い」を「といい」などという地方もある。「酸い」も「すいい」となる。
1拍語幹の形容詞が不安定であることは、「良い」「無い」の使われ方からも説明できる。「おもしろそう」「うれしそう」の「そう」に「よい」「ない」が続く場合にには「よさそう」「なさそう」となる。「たのしげ」の「げ」の場合はすこし揺れていて、「さ」を入れていう人と入れないで言う人があるようである。
「さびしがる」の「がる」が「よい」に付くと、「よがる」となる訳であるが、この「よがる」が「よ+がる」であるという語源意識はあまり無いのではなかろうか。
そういえば「人肌」は〈人の肌ほどの温かさ〉と考えるのが一般的であるが、〈人が触ることが出来る熱さ〉だ、と主張する人も居る(辞書では採用していないか)。「体温程度の酒なんてぬるくて飲めるか!」という思いから出た解釈ではなかろうか。
“シクラメンのかほり”“うす紫のシクラメン”は実在しないものです。これは完全に遊びです。言葉遣いに関しても、「清しい」「季節がほほをそめて」「暮れ惑う」等は皆、北原白秋の詩からの借用です。(p93)とのこと。では白秋は何を元にこの言葉を使ったのであろうか。
「かほり」というのは歴史的仮名遣ではない。歴史的仮名遣でかけば「かをり」である。定家仮名遣では「かほり」となるようであるが、そうした意識ではなく擬古的仮名遣であろう。「よゐこ」というお笑いグループと似たようなものとも言えるが、「かほり」は人名の表記などでもこう書かれることも有って、伝統的な擬古といえようか。
岩崎良美の「涼風」はあまり耳にしないが、リチャード・クレーダーマンのなんという曲であったか、ともかくそのピアノ曲を聞くと私はつい「シーローイー、ナツボオシー」と歌ってしまい、手元に辞書が有ると「涼風」を引いた。すると何かの辞書で「季語」としてあったのだ。
今『日国大』を見ると、やはり俳諧から用例が引いてある。俳諧には独自の文法が有って、歌学の影響下に有るのだが、今の文法の考え方とは異なる。「切字」などもその俳諧文法によっているのだが、今いう形容詞の語尾の「シ」も「切字」あつかいのようで、シク活用のものでもシを切り離して考えることがあったようである。
そんなところから「すずかぜ」の言い方が出来たのかな? 「涼気すずけ」なんて言葉も載っている。
「涼む」という動詞から語を作るとすると「すずみかぜ」になる。これが「すずかぜ」に変化した、と考えるのも無理だ。(「かぜ」じゃなくて「かせ」とかだったらなるかもしれないけど。)
モモ、クリ、三年、カキ八年で、その後にすこし恥かしくなるようなもの(「愛」とか「ため息」とか)が続きます。映画の最後の方で「あれは僕が作った」と深町は言います。
ユズは九年で成り下がる、
ナシのバカめが十八年。
NHKの『タイムトラベラー』のヒロインは島田淳子という名で、後、浅野真弓という芸名にしたが結局振るわず、という話をasahi-netの「221(筒井康隆)情報局」で読みました。
国会では人を呼ぶ時に「くん」付けにする。「橋本龍太郎くん」という具合である。ところが土井たか子議長は「さん」付けで呼んでいた。「細川護煕さんを内閣総理大臣に……」という感じである。これなども、女性は「くん」などという書生言葉は使わないという伝統にのっとったものであろう。あるとき「くん」と言ってるを聞いてドキッとしたのだが、これは議題の「……君を懲罰するどうのこうの」というのを読み上げたものであった。これは勝手に読みかえる訳には行きませんね。