そういえば、京都で売っている不祝儀の袋、黒と白じゃないのですよね。黄色と白です。最初見たときには驚きました。祝儀の赤と白、それから他地方に持って行く為の不祝儀の黒と白、更に黄色と白が置いてあるから、一体何に使うものだろうか、と考えてしまったものです。
地方差ついでに、結納のこと。福井県は名古屋以上に結婚関係にお金を掛けるところで、結納には専門の業者が居るようです。ところがそういう業者が居ないところではどんな業種の人が結納を扱っているのか。例えば九州福岡ではお茶屋さん。「お茶屋さん」と言っても「揚屋」「置屋」といった色街のそれではなく、teaを売っているお茶屋さんです。これは江戸時代からそうであったことが文献に残っています。紙屋が扱う地方も有る、と聞きました。こういった地域差を知りたいと、『日本民俗地図』を見てみたのですが、あまり調査項目が多くなくてがっかりしました。
全国の皆様、こちらは○○トンネル内特設スタジオです。というようなものを想像してしまう。「トンネル内ラジオ聴取可」とでもしておけば良いか。しかし、高速道路のトンネルの様に緊急放送をラジオ電波に乗せて流す準備があるのなら、また別の表現が望まれる。
サイホーソーといえば、福岡市東区の筥崎八幡宮・東警察署の近くにあった「再訪荘」という名の下宿屋を思い出す。なかなか良い名である。ついでに思い出すのが、熊本にあったと記憶する「再函荘」。あれ、違ったかな、見当らない。
そして再春館製薬in熊本である。テレビコマーシャルでもやっていたが、「再春館」は熊本藩の醫療施設の名。そして「再春」は「回春」に通じる。「回春」といえば、現代語では意味が限定されているが、本来は病気から回復する意味であった。「万病回春」などということばもあった。
言葉関係で「再」といえば、「再突入」の「再」はどういう意味であろう、とか、そちらへ行きそうであるが、行かないのもまあよかろう。
言葉の面では、斉藤康己・鷲坂光一「インターネットは電子図書館か?」に出てきた、
たとえリンクが張られても、情報は生きていることに意味があり、ほおっておかれた情報はいずれ死んでリンクが外されてしまう。の「ほおって」。これは「はふる」であるから、現代仮名遣いでは「ほうる」である。「ほおる」と表記してしまうのは、「通(とお)る」「凍(こお)る」の影響であろうか。「放る」という、宛字っぽいものをヒントにしても「ほうる」と書けそうなのだが。
総選挙に棄権したとしている。この「に」がひっかかる。
「総選挙に投票した」なら許せる気がするが、これも「総選挙で○○党に投票した」と並べてみると落ちつきが悪くなる。「総選挙を投票した」とは言えないな。「総選挙で投票した」これは勿論OK。うん、やはり「総選挙で棄権した」でいきましょう。
「総選挙に参加した」の反対の積りか?
「ガとハの区別」などと言いますが、「ハの有無」と考える方が良いように思っています。
(1)いかにも晴れの場らしい。また、表立っている。(2)いかにも晴れの場にいるようで、かたくるしい気分である。(3)人目が気になっておもはゆい。となっていて、(1)はプラス的な意味の様であるが、プラスの方向が違うのか。「嬉しい」気持はないか。『三国』では3版以降に「また、目立って光栄に思うようす」とあり、2版以前にはない。
新人といふのが嫌ひで、わざわざ新しい人と云ってゐるのです。僕がいつか新人と云ふと、新人とは漢語で花娵の事だと云って僕を冷かしたのです。これを見て思い出したのが、自分の失敗談。まもなく結婚するということらしい人に、「新しい旦那さんによろしく」と言ってしまったのだ。多分言ってしまったのだと思う。相手の反応が過剰に感じられたからだ。「新しい旦那さん」では「古い旦那さん」が居るようではないか。私自身は「新しく旦那さんになる方に」というようなことが言いたかったのである(これでも「古い旦那さん」の存在を感じますかね)。
小学館の『《日本》方言大辞典』があれば、上記の様に、『日国大』と『全国方言辞典』・『分類方言辞典』を交互に引くと言うような面倒なことはしなくてもよいのだが、自宅には置いていないのでこういう手順を踏まざるをえなかったのだ。
平凡社『大辞典』には、「じょんのび」「ずんのび」を載せ、「じゅんのび」が無いようだ。 《「じんのび」の形もある。佐渡などが載っているが、石川県能登でもいうという情報をメールで頂きました。》
短いけど、本日はこれまで。ご意見求む。
土師器に「ユ」の字? 平安中期に東北北部まで片仮名普及かが載せられている。その記事なら見た記憶がある。『言語』は東京新聞から引用しているのだが、私は名古屋新聞系の日刊県民福井は採っていなくて、福井新聞か朝日新聞で見たのだと思う。
しかし、トーソーシンさん、平板化して呼ばれたら、「人々の口に馴染んだのだ」と喜べばよさそうなものなのに。
mother、mをとったら、other、他人です。というのがある。これの意図が分らない。以前は「コツをおさえて」とか言っていたが、やはり意味不明である。言葉遊びであるのなら、
縁が無ければ他人です。としたほうがよいと思うのだが。
(尾崎は)当時出始めた飛行機「ジャンボ」と呼ばれ、目移りしてとんでしまったのか。
今「ですます体」あるいは「ですます調」などという用語があるが、これが何時ごろから言われ始めたものなのか気になっている。つまり「です」と「ます」を同程度のものだと考え、さらにそれに「ですます体」などと命名するのが何時ごろからか、ということである。《「これからの敬語」にある。》
(補1)現代では皆「です」と「ます」を同程度の丁寧さだとみなしている筈だと思うのだが、電子ブックプレーヤーの付録としてついていた電子ブック(「辞書パック10」)の「手紙の書き方」に、
文体の統一 手紙文は一定の調子に乗せて、文体を統一する。古くは候文を用いたが、今は「ます体」が一般である。目上の人にあてる場合には特に丁重に書かなければいけない。その際は、「ます体」で統一するとともに「です」を用いないようにする。同輩にあてる場合には、普通の「です・ます体」でよい。というのがあって、驚いたことがある。
原則は「じ」だが、「痔」は「ぢ」と書かねばならぬなど問題が多い。と書いたりする。恨めしや大黒堂。「ちさんマンション」の屋上に記される「ち」の字も「ぢ」みたいだ、と笑われることがあるが、恨むべきは大黒堂だろう。
以上のはなしは勿論、現代仮名遣いで書かなければ絶対にいけないという話ではない。jiという音を「じ」と書くか「ぢ」と書くかの選択する際の意識をとりあげた積りである。
包丁は、庖厨(台所)で使う刀、包丁刀を略したものとされている。しかし、一字一字をよく見ると、「丁」は本の紙一枚のことであり「包」は、まとめるという意味があることに気づく。「丁をまとめる」とは製本することと解釈できる。包丁とは、そのための道具として名が付いたのではないかと思う。(中略)庖厨と包丁はどうも怪しい。こじつけのような気がする。などとある(P189)。「我が仏尊し」というか、ちょっと自分の領域に引き付けすぎであろう。
「文化部の者ですが、何か?」とある。私の感覚ではポキポキは物が折れる様を現わすのに使うのだが、この例もなんとなく分かる気がする。ハキハキ・テキパキ、あるいはポンポン言う、などとの類似性を感じるからであろうか。
若い女性はポキポキした口調で言った。化粧っ気のない顔だが、大きな眼が時折キラリと光のが、理知的ですがすがしい。
なお、『おくのほそ道』の電子化データは、木越治氏が作られ、情報処理語学文学研究会(JALLC)のテキストアーカイブに登録されているものが、山口大学に置いてある。lha圧縮ファイルだ。
故翁真跡墨付三十二丁とある。「おくのほそ道」と書いた後で、「故翁……」を書き加えたようには見えず、ここが芭蕉の筆でないことは明らかである。折角カラー写真を使うからというので、色のある表紙を写したのであろうか。別に本文の写真も出すのならそれでよいのだが、朝日も福井も出していない。県民福井の親玉の中日はカラーで本文を出すなど、他紙には本文が載っていた(毎日は未確認)。朝日の見出し「初発見」は、無くなっていた期間が長かったことを示したかったのだろうか。
おくのほそ道
NHKのクローズアップ現代、スタジオに原本が。
貼った紙の解読にはNHKの映像技術を使っていた。NHKの独占取材だったのだ。そういえば朝日新聞の写真に、「午後8時すぎ」とある。NHKニュースのあとだ。そうして得られた推敲過程はなかなか面白く、これまでに見られぬ句もあるようだ。なお、この番組では素龍清書本は曽良本を写した、と、昨日と同じ様に説明していた。そういう説もあるのだろう。
で、素龍本の跋。
跋次に、素龍本をもとにした版本の跋。
からびたるも、艷なるも、たくましきも、はかなげなるも、おくの細みち、みもて行に、おぼえずたちて、手たゝき、伏て村胆を刻む。一般は簑をきる/\、かゝる旅せまほしと思立、一たびは坐してまのあたり奇景をあまんず。かくて百般の情に鮫人が玉を翰にしめしたり。旅なる哉、器なるかな。只なげかしきは、かうやうの人のいとかよはげにて眉の霜のをきそふぞ。
元禄七年初夏素龍書
此一書は芭蕉翁奥羽の紀行にして、素龍が筆也。書の縦五寸五歩、横四寸七歩、紙の重五十三、首尾に白紙を加ふ。外に素龍が跋有〔今畧之〕。行成紙の表紙、紫の糸、外題は金の真砂ちらしたる白地に、おくのほそ道と自筆に書て隨身し給ふ。遷化の後、門人去来が許に有。又眞蹟の書、門人野坡の許に有。草稿の書故、文章所々相違す。今去来が本を以て摸寫する者也。
京寺町二條上ル町
井筒屋庄兵衛板
ら抜き言葉なんて言葉も、もう昔の言葉じゃないんですかといわれた、とある。
らいりことば【ら入り言葉】 「見られる」「食べられる」の言い方を、可能の意味に使う言い方。老人語。なんて項目がたっているかもしれない。《この記述の仕方では項目語が老人語だと言っているようなのであまりよくなかった。》
「異化」という言葉は、もともとロシア語остранениеの訳語として作られた。……ロシア・フォルマリズムのグループの用語である。ロシア・フォルマリズムならば言語学にぴったり寄り添っているではないか。ヤコブソンだ、大修館の選集だ。月刊『言語』だ、ロシアフォルマリズムの特集があったはずだ。と思ったのだが、すべては箱の中。引越して一年以上たつのに、このていたらくだ。 《新明解の「化学物質が……」というのを参照するのを忘れていた。あと、「演劇論の方が古いのでは」というメールも頂きました。》《すっかり忘れていたのだが、筒井康隆『文学部唯野教授』にロシアンフォルマリズムの説明があって、ヤコブソンやら「異化」やら説明してあった。》
実は、今回も残念ながらホーミーの録音は出来なかったのだ。しかしその後車の中で声を出したりして、ほんの少し倍音が響いているような気がする。