家や店にいると息がつまる。そこでどっかぶっ裂(ちゃ)けた女と外で遊びたくなるとある。
同書のP132に出てくる「甘食」という言葉、私は知らなかったのだが、『日本国語大辞典』には載っていて、「甘食パン」の略なのだそうだ。菓子パンと食パンの中間程度の甘さということだ。《現在でもヤマザキパンで売っているようだ》
今は聞くことが少なくなってしまったとしているのに驚いたことがある。
たしか『消えた日本語辞典』の中に、ストッキングの「伝線」というのがはいっていて、これは著者が年をとることによってそのような言葉と接する機会が失われたのであろう、と考えたことがあった。いくら戦後、女性と靴下が強くなったとしても、伝線せぬストッキングを販売したのでは商売あがったりであろう。
ところで横浜をハマと呼ぶのは俗語、という感じである。ではロサンジェルスをロスと呼んだり、サンフランシスコをシスコと呼んだりするのはどうなのであろうか。これも俗語、という感じが日本語の中ではしてしまうのだが。ニュースなどで「ロスでは……」などといっているのを聞くと、「ハマでは……」などとはニュースでは言わないだろうにな、と思ってしまう。シスコというのはより一層俗語らしさが強い気がするが、これは後半部を採用しているからなのかな。
やっとこせっとこ医者にするというのがある。
これは9/22の「いっつもかっつも」に関わるのだろうが、「ところがどっこい」なんてのはどういうものだろう。何時ごろからあって、何時ごろ定着したものなのだろうか。手持ちの用例としては、小林恭二『小説伝』(福武文庫)p155程度なのだが、私が子供の頃からあった言い方である。
「字ケシゴム」の附きたる鉛筆にて、懸壅垂の邊を突上げながら練習すべしとあるとか、「或る場合に飲食物の鼻孔より出づる理由如何」とかある。
故西郷従道侯、少時の名は隆道なりしに、侯は常に「ヂュードー」と発音せられしより、文字までも従道と書誤られしなりといふ。事実の如何は知るべからざれど兎に角薩州人としては有り得べき事柄なり。とあるのが興味深かった。これはかつてどこかで聞いたことが有るのだが、明治時代の記録ということで嬉しい。《「隆盛」の弟だから「隆」》
あいつはコマメな奴だという時の「こまめ」ということばを、「こ+まめ」ではなく「こまい」の語幹に「め」の付いた形、つまり、「ふとめ」「ながめ」と同じ形のものだと思って(cf.)、〈こまかいことに気を使う〉といようような意味にとっていたことが有ったからだ。
しかし、方言ページだけのサーチがあればよいのだが。
そういえば「確」の字も明治以降になって盛んに使われるようになった、ということを松井利彦氏が書いていらしたように記憶している。松井氏の論を再読しないまま、〈確認するという行為自体が近代的なものなのだ〉というような私好みではない結論にしてしまうのはなんなので、もう少し考える。
語構成から考えてみると、「たしか」は形容動詞の語幹であり、それをマ行の動詞として活用させるのはありそうなことだ。しかし、「〜か」という語尾を持つもので「〜む」「〜める」という形になっているものは、『広辞苑』の逆引では「たしかめる」以外には見当らない(ただ、形容動詞ではない「短い」を〈短くする〉の意味で「みじかめる」というのは載っていて、『日本国語大辞典』によると幕末の用例がある。英和辞書の訳語であって、気になるところである)。
「たしか」という形は古くから有るのだが、それに「〜む」がついた形がないということなのだが。
気になるのは「たしむ」あるいは「たしなむ」ということば。意味は「たしかむ」と似ていないようではあるが、全く無関係とも言えないようで(〈気を付ける〉というような意味もあるようだ)、もっと深く知りたいところである。ついでに言えば、「たしなむ」は〈強く好む〉という意味があったのだが、「お酒をたしなむ」と言うのを聞くと、この意味を思い出して可笑しくなる。
口語から古語を引く辞典は現在は殆ど無いようだが、古作文(「英作文」からの類推)の有った江戸時代・明治時代には作られていた。これでもって「たしかめる」を引いてみれば何か分るかもしれないのだが、手元の『俗語雅調』(弾舜平、明治24)には載っていない。
ことば会議室
松井利彦氏は「明確」という語をとりあげた訳だが、これは頼春水の子である頼山陽『日本外史』にあったということだったと思う。
やはり日本漢文の用例をちゃんと集めなければならないと思う。
これ以上の用例が無いので推察になるが、「縮尻」は、「縮シク」「尻シリ」という具合に、「しくじり」という連用形(名詞)に宛てられたものであろう。そしてそれを他の活用形にも及ぼしたのであろう。
「尻シリ」はよいとして、「縮シク」というのはどうなのだ、ということ。
まずシとシュは(ジとジュも)よく入替わる。子供の頃に「宿題」を「しくだい」と思っていた人は多いだろうし、「手術」なんて「シュジュツ」と発音されることは少ないだろう。逆にもともとジッポンだった「十本」がジュッポンになる。これはジュウに引かれた、ということもあるが、ジとジュが近いからこそ間違えるのだ。
このことはよく話題にもなるのだが、漢字音のシュク、宿縮粛叔祝蹙……、に関してはもうちょっと厄介なことがある。
ことば会議室〈「中」の字音〉で書いたことと関係あるのだが、この「宿」等の字は、「育菊畜肉陸」等と同じ韻の字である。「育……」は「イク・キク・チク・ニク・リク」と、iクの形なのに、「宿」等、サ行のものだけ「シュク」となるのだ。
そこで「これは変だ」と思った江戸の漢字音研究者の中で、これを「シク」と改訂してしまった人もいる。「シュク」の方が訛っている、と思ったのだろう。
子供の卒園式もあったのだが、その「卒園」ということば、新しげなことばである。案の定『日本国語大辞典』『新明解国語辞典』には載っていない。『三省堂国語辞典』では、第二版からの登場となる。
一方の「入園」は『日国大』にも載せられていて、学校教育法にその用例があることが分る。
その他、「園」に関わる語をふと思い立ち調べてみた。
明解 三省堂 新明解 岩波 新 日 12 1234 1234 12 解 国 園児 ○○ −○○○ ○○○○ −− ○ ○ 園舎 −− −○○○ ○○−− −− − − 園長 ○○ ○○○○ ○○○○ −− − ○ 園庭 −− −○○○ −−−− −− − ※ 園服 −− −○○○ −−−− −− − − 園帽 −− −○○○ −−−− −− − − 開園 −※ ※○○○ ○○○○ −− ※ ○ 降園 −− −○○○ −−−− −− − 卒園 −− −○○○ −−−− −− − − 退園 −− −○○○ −−−− −− − 登園 −− −○○○ −−−− −− − 入園 −○ ○○○○ ○○○○ −− ○ 閉園 −− ※○○○ ○○○○ −− − ※は意味が違う。 切りがないので、これぐらいにする。『岩波』は実にいさぎよい。新しい版のは未調査。
「登園」の用例としては、徳川夢声『夢声戦争日記(一)』(中公文庫1977.8.10)の昭和17.4.5の条。
今朝、坊やの初登園(?)。疑問符つきなのは、本人には馴染まないが、母親などが使っていたものであろうか。 《(三)の昭和十八年三月に幼稚園が終るようだが「卒園」などの語は見えないようだ。》
『古書通信』を眺めていたら、『奥の細道』の自筆影印に就いて触れてあり、
田一枚植えて立去る柳かなの句に就いて、
「植えて」の「て」に濁点が付されており(汚れではなく明かに濁点だ、と)、これで「植えで」、つまり「植えないで」の意味であることが明かになった。しかるに影印本の翻字では「植えて」としてある。というようなことが書いてあった。本当かいなと思って影印本を見てみると、私の目にはやはりこれは汚れか、紙を張り付けてある下の文字が透けて見えているか、という感じである。実際ここは紙を張り付けてある箇所である。
わが心なぐさめかねつ更科や姨捨山に照る月を見で、と言ったのは塙保己一とも言うが、それは〈学のある盲人と言えば塙検校〉という思い込みに拠る仮託であろう。為永春水『閑窓瑣談』(日本随筆大成(旧)1-6のp550)によれば、宝永の板鼻検校であるという。前田勇『國語随想/俳諧腰辨當』(錦城出版社1943.2.28)によれば、板津検校であるともいうそうである。
次は、前田氏も引いているし、『和訓栞』の大綱にも引いてあった笑い話。
庭の雪に我が跡つけて出でつるをとはれにけりと人やみるらむこれを、
庭の雪に我が跡つけで出でつるをとばれにけりと人やみるらむとすると、「訪はれにけり」が「飛ばれにけり」となって大層面白い。
前田氏の著書から、もう一つ挙げると、漱石の『草枕』で、
馬子唄や白髪も染めで暮るゝ春の「で」は濁点のある本とない本があるという。
後の記
大町桂月・佐伯常麿『誤用便覧』明治44年。「いさ、いざ」の項に
古歌の
わが心慰めかねつ更科や姨捨山にてる月を見て
「て」を塙保己一が、
わが心慰めかねつ更科や姨捨山にてる月を見で
と「で」に濁って全然反対の意味とし、以てわが心を咏じたといふことは有名な話で、人の知るところである。
「固化体」。動燃の事故で、「アスファルト固化体」とも書いてあるが、単に「固化体」とも書いてある。変な名称だ。〈固体化した(液)体〉なのだろうか。《「固化施設」という》
「球春」。『三国』では二版から。
「牛刀」。諺でしか使わないことばと思っていたら、《オウムの》村井幹部を刺したのは「牛刀」であるという。これも『三国』によれば、肉切庖丁のことをこう呼ぶらしい。
鯛釣(たいつ)り船(ぶね)に米(こめ)を洗(あら)うというのを逆から読むと、深夜放送向けのネタになる、という投書を元に始まったものであった。「回文」は〈上から読んでも下から読んでも〉というものだが、これは〈下から読むと……〉という趣向であった。
私はこの放送を福岡のRKBラジオで聞いていた。当時はニッポン放送系のオールナイトニッポンが盛んな頃で、福岡でもKBCラジオで流されていて、友人たちもこれを聞く人が多かったようなのだが、私はこのパックインミュージックを聞いていた。全国的に見てもネットしている局は少なかったと記憶している。ラジオ局が一つしかない地方ではまずオールナイトニッポンを中継しているし、大阪・名古屋といったところでは自主制作番組をやっている(そういえばRKBも自主制作の深夜放送をやっていた時期があった)。
そんな具合で、オールナイトニッポンに比べれば聴取者は少なかったであろうパックインミュージックも、書物はいくつか出していたように思う。山本コウタローの番組にしても、「恥の上塗り」というのも本になったと思うし、木曜夜の野沢那智・白石冬美は何冊も「もう一つ別の広場」というシリーズを出している。小島一慶・林美雄はどうだったか。
私はこの頃、「投稿マニア」とまでは行かないが、結構好きだった。『ビックリハウス』では、「教訓カレンダー」には採用されずじまいだったけど「ビックラゲーション」には一度だけ載った。『高二コース』では何度か採用され、原稿依頼が来たこともあったのだが、これは怖気付いて書けなかった。オールナイトニッポンも確か第二部(3:00-)で採用された記憶がある。
そしてこの「たいこめコーナー」は私の好きな〈ことば遊び〉である。これに投稿しない手はない。でも投稿したのは一度だけだったと思う。ボツになったと思っていた。ところがこの『たいこめ辞典』を書店で見てぱらぱら見ていると、私の作品が載っていたのだ。ただしペンネームである。どういうペンネームであるのかは忘れた。
ミカ思いのことをしたわというものであった。著作権は投稿した時点であっちに譲り渡していて、すでに私のものではないのだが(だからこそ「掲載します」の連絡もないわけだ)、引用と言うことでよいだろう。
その時は買わずにいたのだが、ここ数年、欲しい気持ちがあった。古本屋で出ないだろうかと思っていた。でもこの手のものはなかなか出ないようだ。鶴光とかあのねのねだってたまにしか見かけないのだ。何故欲しいのかというと、こういう言語遊戯関係のものをぼつぼつと集めているからだ。そしてこの「たいこめ」は、回文とは違うようだが、やはり回文に通じるものがあるのだ。例えば先程のものにしても、
ミカ思いのことをした私、男の芋を噛みとすれば回文になるし、「鯛釣り〜」にしてもそうすることは可能だ。
でも、1200円だ。古本で200円ぐらいなら躊躇せずに買うのだが、わざわざ注文して1200円のを買うかな。うーむ。でも、なぜ覆刻なんてしたのかが買うと分るかもしれないし。《後日》
昭和61年の「現代仮名遣い」には、
拗音に用いる「や,ゆ,よ」は,なるべく小書きにする。
とあるだけだし、昭和21年の「現代かなづかい」には、 第九 拗音をあらわすには[や]、[ゆ]、[よ]を用い、なるべく右下に小さく書く。とある。これは、横書きのことを言っているのだろうか。《縦書きの場合は〈上の字の右下〉と解されるか》
第十 促音をあらわすには[つ]を用い、なるべく右下に小さく書く。
もしかすると、学校での指導のための何かにこういったことが書いてあるのだろうか。右上四分の一というのは不格好な感じがするが。
不格好と言えば、拗音促音を現わすのに、ワープロなどでポイントを落したり、半角にしたりしてやっている人が居たものだが、そういう人はちゃんと減っているだろうか。ワープロソフトが警告を出したりするだろうか。
《後日》
でも、辞書に載る形で、この様に促音が二つ続くのは珍しいと言ってよかろう。小さい辞書ではこの二語だけ、ということもあるのだが、『広辞苑』の三版で捜しても、この二つの他には、「褐鉄鉱カッテッコウ」「直滑降チョッカッコウ」だけのようだ。外来語を入れても、ウィッケット、サッケッティ、ボッカッチオぐらいのようだ。外来語の促音挿入にもいろいろ問題があるのだが、此處ではおく。
辞書に載らない形で考えてみると、「六角形」「八角形」がそうだし、辞書には「ホッキョクケン」で載るだろう「北極圏」もそうだ。
考えてみると、「北極圏」はホッキョクケンと言い得るのだが(「[六八]角形」も)、「赤血球・白血球」は「セキケッキュウ・ハクケッキュウ」とは言いづらい。「直滑降」の「チョクカッコウ」も、どこか、ぎ[ごこ]ちない。「褐鉄鉱」は少し性格が違うが、カツテッコウとは言いそうにない(「褐色」は「カツ」ではなく「カッ」でなければ落ちつかぬからということもあろうが)。
「赤血球・白血球・褐鉄鉱・直滑降」、この三文字熟語、意味から考えるといずれも1+2で、「北極圏・六角形」が2+1であるのと対照的である。セキケッキュウなどとならないのはこういうところに原因が有るように思う。
ついでに言えば、カ行の前の「キ」が促音化するのは(「的確」のテッカクなど)、「ク」が促音化するの(「学校」のガッコウなど)に比べると辞書に載りにくいのに、セッケッキュウが載っている、というのもセキケッキュウの言いにくさ(「言わなさ」(?))を証明している。
「1.本書のねらい」というところに次の様にある。
もちろん,本書に示される筆順は,学習指導上に混乱を来たさないようにとの配慮から定められたものであって,このことは,ここに取りあげなかった筆順についても,これを誤りとするものでもなく,また否定しようとするものでもない。実は、この「本書のねらい」のところを削る形でこの「手びき」を掲載している本があるのだ。国語科教育法資料集とかいった本でそういうのがあった。しかしまあこんなのはましな方で、多くは教育漢字の筆順一覧を載せて終り、というのが多い。
では筆順はどう書いても言いのか、という点に関しては、学習指導要領・国語にも、「筆順にしたがって」とあり、又「手びき」の「5.本書使用上の留意点」には、
1.本書に取りあげた筆順は,学習指導上の観点から,一つの文字については一つの形に統一されているが,このことは本書に掲げられた以外の筆順で,従来行われてきたものを誤りとするものではない。となっているので、なんでもよい、というわけではないと考えているようである。しかし、「従来行われてきた」筆順がどのようなものであるのかが列挙されている訳ではなくその点は不安である。手びきの中で「広く用いられる筆順が,2つ以上あるもの」として示されているのは、「上点店・耳へん・必・癶・感盛・馬・無・興」といったところである。他の字は2つ以上ないのか?
横画が長く、左払いが短かい字では、左払いをさきに書く。(右有布希)としている。でも「当用漢字字体表」や「常用漢字表」で、「左右」の長さは違っているのかな。原本は見ていないのだが、一般に見られるものでは違わないように見えるのだが。「手びき」では、「本書は字体の手びきではない」と言っているし。「右有……」の筆順にも二種あると言って宜いように思う。
横画が短かく、左払いが長い字では、横画をさきに書く。(左在存抜)
しかし、「手びき」は当用漢字によっているわけだから、〈常用漢字に沿って〉という名目でよいから、一度〈筆順金科玉条〉の隆盛に反省を促すべく、「筆順指導の手びき」を見直して欲しいもんだ。でも下手に見直すと、また「新筆順!」とか銘打って儲けようとする出版社が居るんだろうと思って悲しくなる。
新聞がこの表現で言いたいことはわかる。〈「最古」ではないかもしれないけれどそのクラスだ〉ということであろう。これまでに「最古」と報じたことによっていろいろとクレームが来たりしたのだろうか。
それはともかく、「最古級」という言い方は「最も古いものの一つ」という言い方を連想させる。「最も〜なものの一つ」という言い方は気になる言い方として言及されることが屡々あるように思うが、今手元には資料はない。「最も」が〈いちばん〉の意味であるなら「〜の一つ」はおかしかろうというわけである。これは、英語の one of the most 〜 の翻訳なのではないかとか、いやいや「最も」が〈いちばん〉の意味であると思うのが行けないのだ、「尤も」という字もあるとかいう。
この辺を確定するためには用例を集めなくてはならないのだが、これがまた辞書を引いても出てくるわけではないから困る。私の知っている例としては谷崎潤一郎の『文章読本』にあった、ということを記しておこう。
ダイマジンてのが出てきたから、「大魔神」かと思ったら「大魔人」と書いてあった。ひょっとして昔の映画の「大魔神」とは違うのだ、と逃げをうっているのかな。
「神、シン:ジン」と「人、ジン:ニン」の区別は時として厄介で、神代と人代はジンダイ・ニンダイと読めばよいのだと思うが、人代はジンダイと読まれやすくそうすると神代と混乱する。
そういえば「鬼神」という言葉をキシンとよめば良い神で、キジンと読めば悪い神である、と書いてある本があるそうだ。確か百科事典か何かにそうある、と何か辞書関係の随筆書に書いてあったと記憶する。これは〈濁音減価〉の現われであろう。《ことば会議室でのYeemarさんの報告を参照》
「予告編」というのだろうか、映画が始まる前に見せられる宣伝映像で、幸福の科学が作った映画の一部が流れた。「東宝配給」と書いてあったのだが、映画業界に於ける「配給」ってなんなんだろう。
ドラえもんで小便小僧が動いていたことを、娘(6)が「地球はおおさわぎ」みたいだね、と評した。ツツイストに育ちつつあるのだろう。