漢字によみがなをつけた。というのがあった。こういう凡例を見て行けば、もっと古いものが有るかもしれない。なお、「よみがな」といった場合には振り仮名だけでなく、新聞の様に下に括弧付きで示されるものも含まれるようである。
ルビという言い方は、活字の名から来ているのはご承知の通り。
土地には土地のにおいっていうものがあってね、裏駅っていうと裏駅でしょ。(p221江藤)「駅裏」なら聞いたこと有るが。
その左翼はひげカッコなしの左翼という意味でおっしゃるのだと思いますけれども、(p248江藤)「″」という感じの縦書きに使う引用符号を指してこう言っている。
永倉万治『昭和30年代通信』(ちくま文庫1990.7.31)より。著者は埼玉生まれ。
それよりいささかは収入が多かったかもしれないが、まあ、おつかつの大正庶民の一人であったろう。(p93)とある。同じ田辺聖子の『中年の目にも涙』にも「おつかつ」で見える。
「おつかつ」が元だと考えて漢語起源という人も有る。「乙甲」だそうである。「甲乙つけがたい」ということであろうか。しかし「乙甲」はオツカフであって、オツカツではない。「甲子」などと言うときには「カッ」になるが、「カツ」は無いと思う。
「立・摂・接」などは、フからッを経て、ツの方が主になってしまっている。「執」は併用かな。だが「集・十」などは、ッで読まれることは有っても(「集解」とか「十本」)、シツ・ジツとは読まれない。「甲」もその段階だろうと思う(固有名詞では有りそうだが)。
でも、この「乙甲」説、結構人気が有るものらしい。『学研漢和大字典』の藤堂明保氏もその説であった。
『新聞集成明治編年史』11は明治33〜35ごろの新聞記事だが、
法の運用も是に至って実に乙甲なりと云ふ可し。とある。これも「オツカツ」だろうか。
ついでだが、私が使っていた語形はゴッツ。福岡方言なのか、私の回りで使われていただけなのか。先日本屋で「二人ごっつ」とかいう本を見たがあれは一体なんだろう。ダウンタウンか何かの本であったが。
それから、藤堂明保氏が「乙甲」説に与していたというのは記憶違いの様です。
『新聞集成明治編年史』11はp79。
固有名詞でも、常用漢字表および人名用漢字別表の文字の異体とみられるものは、表内の文字に書き改める。とある(伊藤英俊『漢字文化とコンピュータ』(中公PC新書1996.11.25)のp104に引用してあるのはは少し違っているが大意は同じ)。NHKでは「假谷」さんと書かれていたのが、朝日新聞では「仮谷」さんとなっていたのは記憶に新しい。
〔例〕澁澤榮一→渋沢栄一
異体字で忘れてはならないのは戸籍関係。「本人からの申し出が無くとも正字(等)に書き換えることにした」という通達(1990.10.20)が出されたり、「やっぱり無理だった」などと議論されているが、職権に拠る書き換え通達が出された直後(11.22)に『誤字俗字・正字一覧表』が通達されている。私が見ているのは、テイハンが1991.1.10に出したものだが、これで「勢」のところをみると、ナマセイも挙っているし、他に、「土ル土」が「幸」になっているもの、下の方の「土」が「干」になっているもの、「ル土」が〈「半」の下に突き抜けないやつ〉になっているものが挙っている。ついでにいえば、ふるい『誤字・俗字一覧表』(『戸籍実務六法'89』(日本加除出版S63.10.5)に載っている昭和58年のもの)には、「勢」の「力」を「云」に換えたもの(「藝」の「艸」を取ったもの)も載せられている。
漢和辞典類では、『大漢和』に無いものの、『大字典』(上田萬年等、大正6)が載せている。昭和13.3.15の2180版(!)では漢字番号884と885の間(p260)、『新大字典』(1993.3.11)では漢字番号1337(p270)である。なお、「土ル土」が「幸」のもの(新1360)、〈けものへん〉(新1359)になっているものも載っている。(『新大字典』は全ての字に番号をふるとともに、正字の所に異体字を列挙してあって便利。)《『異体字解読字典』(柏書房)にはナマセイが載っている。》
ともかくナマセイが「勢」の異体字なのは明らかなのに、なんで「勢」にせんのか、ということだ。「假谷」さんを「仮谷」と書くのに、だ。
橋本龍太郎も、朝日でなぜ、「龍」の字を使うのか分らない。共同通信系では「竜」だ。『記者ハンドブック』(共同通信社1987.8.12の5版6刷による)では、
固有名詞で、常用漢字、人名用漢字の異体字とみられるものは、表内の字体を使う。としているから、こちらで「龍」をつかうなら分るのだが、朝日で「龍」というのはどういうわけだろう。ご存じの方は是非教えて下さい。
〔例〕(省略)
ただし、寄稿者名・被表彰者名、その人物(または団体)が特に望む場合は特別の使う場合もある。
〔例〕福田恆(恒)存 梅原龍(竜)三郎
きいろいにら(にらの若いの)とあり、香坂順一等『現代中日辞典』(光生館、1979.3.1の増訂21版による)では、
にらのもやし:柔らかく厚みあり美味.小学館『中日辞典』(刊記が剥がれている)を引くと、「黄ニラ。ニラもやし」と、ちゃんと「黄にら」が載っていた。この辞書も中国に持っていったはずだが、引いてみなかったようだ。
ともあれ、この「きにら」と「にらもやし」、どちらも国語辞典類にはあまり載せられていないのは確かだ。「きにら」という呼び方だと、『岩波中国語辞典』のような誤解(あるいは誤解を招く言い方)が起るし、「にらもやし」の方がよい名前だと思うのだが。
でも、「もやし」が何かが分っていないと、また誤解するだろうし。難しいことだ。
以上の例は歌の冒頭部分だが、途中にでてくるものもある。電子ブックの『あのうたこのうた3333曲』(CBSソニー出版)で「もしも」のある歌を検索してみたら、該当部分のメロディーが思い出せるものだけで20曲以上有って(リスト中「☆」を付けたのは冒頭)、「もしも」という言葉が歌謡曲に頻出することが伺えるのであるが(「もしかして」などを加えるともっと増えることだろう)、これらを見ると、私がぼんやりと思っていたようには単純でないことが分った。
●○●となるのは、
「もしもしかめよ」とか「若いおまわりさん」も視野に入れるべきか。そうすると「ペッパー警部」も絡んでくる。あ、そうか。若いおまわりさんが出世して警部になったのか。「もしもしお二人さん」と言っていたのに偉くなっちゃって「もしもし君たち」だもんな。
パフィといえば、小二田誠二さん@静岡大学のつぶやきというページに、「これが私の生きる道」に「引用」がある、というようなことが書いてある。「歌詞もなんか仕掛けが」と書いておられるので、多分これはメロディーの方の事だろうと思う。
メロディーの引用についてはよく分らないのだが、ラップブームの頃、音の引用のことが問題になりそうだ、というのをテレビで聞いた(クローズアップ現代だったか)。昔のレコードに入っている「ズン」とかいう音を使って曲作りをしているというのだ。たしかに、パロディー同様、問題になるでしょうね。
歌詞の引用について、ちょっと気になっている歌がある。ちょっと前によく流れていた歌で、歌詞がものすごく陳腐だと思えるものがあった《THE YELLOW MONKEYの「楽園」》。最初は、おやおや陳腐だこと、とあきれていたのだが、後に、これはわざと陳腐にしているのではないかと思った。昔の歌詞や流行語をつぎはぎにしてくっつけているのでは、と思ったのである。だって、「赤い夕日を浴びて」だとか「スプーン一杯の幸せ」《落合恵子だね》だとか、あまりにも陳腐すぎるでしょう。こういう曲がある程度売れる、ってのはどういうことなんでしょうか。ツギハギにしたからといってパロディーというわけでもなさそうだし。ツギハギが流行っているのでしょうか。ついて行けません。
まあそう感じるのも、オジンになっている所為なのでしょう。そのうち、本当に人生幸朗のように、「最近の歌で……」などといって数年前の歌を言うようになるのかもしれません。